タキサイキアという楽曲

タキサイキア現象とは、交通事故など危機に陥った時に全てがスローモーションに感じる現象のこと。ギリシャ語で「頭の中の速度」の意

タキサイキア現象 危機的状況でスローモーションに感じる謎を解明|アンビリバボー

2010.11.11

 タキサイキア現象、耳馴染みが無いかもしれないが、上記の説明を読めば腑に落ちた方も多いのではないかと思う。同タイトル「タキサイキア」という楽曲が2018年にリリースされた。歌っているのはCYNHN(スウィーニー)という6人組ボーカルユニット、実に3枚目のシングル曲となる。

 私はこの"タキサイキア"を初めて聞いた時、CDを初めて手にして歌詞を読んだ時、楽曲のMVを初めて観た時、何度も衝撃を受けた。何故それ程までに衝撃を受けたかはよくわからなかったが、しかし何故か気がついたらどんどんと引き込まれていた。

 今回は楽曲が初めてお披露目となった日から約1年、改めてこのタキサイキアという楽曲に向き合おうと思う。

 一応注釈しておくが、この文章の9割は私の主観で構築してあるので解釈違いを起こしても叩かずにそっとページを閉じて頂きたい。

 ちなみに私がこれから話す内容を読んでいる時に時間が経つのが長く感じたのなら、それはタキサイキア現象ではなく、”時間の無駄”である。

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1.タキサイキアの背景


 タキサイキアはCYNHNの3rdシングルに収録されている楽曲である。CYNHNはロシア語で青色を意味しており、その青には、まだまだ未熟、成長途中、といった意味も込められている。2017年にデビューして以来、成長は目覚ましく、2018年夏にリリースされたタキサイキアはCYNHNにとって初めての大型の夏フェスを共に闘う大きな武器となった。

 

 青春の1ページのように、短い期間に多くの経験をし、環境が急激に変わっていく様がスローモーションに見える、という今のCYNHNの状況を歌ったものでもある。


 CYNHNは3rdシングル、4thシングル、5thシングルにそれぞれ2曲ずつ、メインボーカル制を導入した。メインボーカル制というのは、6人全員で歌うが、その中の1人の歌唱パートが多い、目立つ部分が多いなど、メンバーの1人をフィーチャーした楽曲を全員に回していく、というものだ。

 

 このタキサイキアはそのメインボーカル制の第1弾であり、メインボーカルは綾瀬志希(あやせしき)(以下、敬称略)が努めた。綾瀬は3rdシングルのタキサイキアとSo Young(青柳透のメインボーカル楽曲)の振付も考案した。

 

 以下にはタキサイキアリリース時の宗像明将氏によるCYNHNのインタビュー記事を載せた。私が記している駄文を読むよりか幾分有意義な内容を含んでいるので、是非読んでみてほしい。 

 

realsound.jp


2.タキサイキアの音楽


 私がタキサイキアに引き込まれた1番の要因が、この作編曲にあると考えている。全体を通して、軽快な管楽器、ピアノや笛のアクセントが印象的だ。曲の構成としては、Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Cメロ→間奏→Bメロ→サビ という流れになっている。

 

 ここで声を大にして言いたいのが、間奏終盤で鍵盤を連打しつつ音階が段々と上がっていく切迫感の後、待ちきれんばかりに歌唱する部分がBメロである、ということだ。

 

 この曲のBメロにはサビかと思わせるようなメロディの強さがある。一般的にはBメロはサビに向けて盛り上がっていく部分で、それに比べると非常に攻めた作りだ。しかし、1番のBメロと間奏後のBメロを聴き比べると、その違いははっきりとわかる。

 同じメロディであるが間奏後のBメロにはサビを思わせるような高音の管楽器など編曲が全く異なり、それ故に間奏後のBメロはまるでサビのようにさえ感じられる。その仕掛けにより、その後に待ち受ける最後のサビは盛り上った上にさらに盛り上がる、という、まるで限界突破のようなボルテージの高まりを生み出している。


 さらには最後のサビではただBメロよりも盛り上がるだけでなく、サビが終わるかと思いきやフレーズを繰り返し、その後少し落ち着かせて終わりへと収束していく儚さも描いている。楽しい時間は決して永遠ではないという思いにさえさせられるのである。

この仕掛けこそが、楽曲が人を魅了する1番の要因なのでは無いだろうか。


 ちなみに、この展開が読めず、サビのように強いBメロを持つという点で類似していると感じるのが『脳裏上のクラッカー/ずっと真夜中でいいのに。』だ。関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日)の「売れっ子音楽プロデューサーが選ぶ2018年間ベスト10」という企画で蔦谷好位置氏が挙げていた楽曲である。(2019.01.20放送)

 この放送を見てタキサイキアの衝撃の理由に1つ近づいたような気がした。

 

3.タキサイキアの歌詞


 タキサイキアの曲の軽快さに対して、歌詞は決して明るく軽快ではない。むしろ非常に痛々しいとすら感じる。ただし、曲と歌詞がマッチしていない、ということではなく、むしろそれが非常に密接に関わっているのである。


 タキサイキアの歌詞には"今日が何ページかわからず""泣いて""綺麗じゃないけど""大嫌いでも"など幾度もネガティヴな言葉が登場する。しかし全体を通して聞くと後ろ向きな曲ではなく、目まぐるしく変化する状況に戸惑いながらも手探りで少しでも前に進もうとする、微かな光を掴みに行こうとするような前向きな歌詞である。


 何度も言うが、タキサイキアは急激な変化に対して脳が追いつかず視界がスローモーションに見える現象を意味する。歌詞中にもスローモーションという単語が出てくるが、その部分だけでなく、全体を通してCYNHNの心境をタキサイキア現象に例えて歌っている。

 明るい曲調であるが、"夜が明けたら神様まで声届くくらい""夜明けを待つだけ"から分かるように、この曲の時間軸は夜中であり、つまり、ここからもタキサイキアは"跳ねる曲"ではなく、"跳ねるために努力している期間の曲"だと考えられる。こじつけではあるが、その色眼鏡を掛けた上で改めて歌詞を読むと、

 

泣いて泣いて泣いて抗って
綺麗じゃないけど きっと書き上げてます
ダークホースばっかの名作
後世に 渡って掻き鳴らせ

 

 この部分から、ひたむきで荒削りな努力は決して完璧とは言えないがいつか陽の目を見ると信じて進み続けよう、という熱意すら感じられる。

 作詞作曲を担当した渡辺翔氏はこの曲だけでなく、CYNHNの1stシングル、2ndシングルを含む数多くの楽曲を手掛けており、グループやメンバーのことを理解しているからこそ生み出せる歌詞なのではないだろうか。

 

4.タキサイキアのMV


 タキサイキアのMusic Video(MV)はドラマ仕立ての演出となっている。というのも、上記で触れたメインボーカル制と同時並行で行われたプロジェクトがあり、それが"演じまCYNHN"である。

 これはメインボーカルを担当したメンバーが、そのMVの主人公となり、それぞれの葛藤を乗り越えるストーリーを演じる、というものである。内容は全てフィクションであるが、本人とのインタビューを元に作られたストーリーであり、現実の本人の過去や葛藤と重なる部分もあるそうだ。

 

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 タキサイキアのMVの大まかなストーリーを以下に示す。


 主人公である綾瀬志希は女子高生で友達がいない。歌が好き。同じクラスの女子学生から(本人に聞こえるように)陰口を言われるなどいじめを受けていた。

 ある時同じ学校の学生である百瀬怜に"綾瀬さんの歌、好きなんだ"と話しかけられ、それをきっかけに仲良くなり、よく2人で過ごすようになる。しかし、しばらくしていじめっ子らに、根も葉もない嘘を吹き込まれ疑心暗鬼になった綾瀬は手を差し伸べてくれた百瀬を突っぱねて殻に閉じ籠ってしまう。

 部屋に閉じこもったまま、薄暗い部屋で、百瀬の声が流れるラジオを聴きながら、このままじゃだめだ…と呟くシーンでこのMVは幕を閉じる。

 

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非常に救いの無い話である。MV自体はこのストーリーパートと、学校の屋上でCYNHNの6人が歌っている姿が映される歌唱パートが入り混じっているが、歌唱パートでは暗い話とは全く違う映像作品であるかのように爽やかで笑顔のメンバーが映されている。だからこそ、より一層ストーリーパートの深刻さが際立たされており、歌唱パートでの綾瀬の弾けるような笑顔にすら、胸を締め付けられるように感じられる。


 タキサイキアMVのストーリーの続きはCYNHNの5thシングルに収録されているwire(百瀬怜のメインボーカル楽曲)のMVで描かれている。綾瀬が百瀬を突っぱねるシーン以降を百瀬視点で描いたものだが、この結末においても、未だ完全な復縁は達成されていない。2019年9月のライブにおいて、演じまCYNHNシリーズの完全版を公開するという情報もあり、この先の展開が気になるところである。

 

5.タキサイキアのライブ


 音楽の項で間奏以降の展開について触れたが、ライブ会場におけるタキサイキアのボルテージの高まりの要因はそれだけではなく、歌詞割、振付、演出による相乗効果も含まれる。

 

5.1 歌詞割


 間奏以降、メインボーカルである綾瀬が歌唱するパートは1番最後の"青すぎる奇蹟"というフレーズを除くとサビでマイクを持たないのである。逆に間奏後のBメロは全て綾瀬が担当している。だからこそ間奏後のBメロに魂の籠った声量と綾瀬のエモーショナルな歌声が相まって圧倒的な力強さも感じる。その点も加味され間奏後のBメロがまるでサビであるかのように感じるのである。


5.2 振付


 背景の項で軽く触れたが、タキサイキアの振付は綾瀬が考案したものである。Aメロの笛の音をきっかけに動きがスローモーションになるところや、初見でも一緒に楽しめるクラップが多く盛り込まれているところが印象的だ。

 

 また最後のサビ後半では手を左右に振り、もうすぐ曲が終わってしまうという儚さも相まってエンディング感を上手く演出している。振付で特に注目して欲しい部分は"振付の無い部分"である。1番サビ後半や間奏の後半、最後のサビは全てに振付が無く、各々が自由に動いている。CYNHNの楽曲の中でもここまで自由な振付の曲は珍しい。タキサイキアお披露目時に綾瀬はこのようなことを言っていた。

 

 音楽という文字通りみんなで音を楽しみたいから、振付はみんなで出来るクラップを取り入れたり、敢えて決まった動きではない自由な部分を作ったりした。CYNHNのメンバーはみんな真面目だから自由に動いてって言われると上手く出来なくて、もっと気楽に楽しんでくれればいいのになと思っていた。(一部改変)

 

 現在ではメンバーみんなが良い意味で肩の力が抜け、本当に楽しそうに踊っている姿が見られる。特にこの"自由に動く部分"にはそれを見た時の場所、時間、状況、心境で異なる"今"を感じ取ることが出来る。ふいに、これも綾瀬の求めていた音楽の一つなのだろうかと考えることがある。

 

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 綾瀬は音響の専門学校を出た後、音楽とは離れたところに就職するも、歌を歌いたいという夢を諦めずオーディションに参加し現在に至る。彼女の歌唱する姿を見たことがある人は、彼女の音楽に対する並々ならぬ熱量を感じたことがあるだろうと思う。技量だけでなく、楽しそうに踊り歌う姿に魅了されるのである。


5.3 ライブにおける演出


 ライブ中のタキサイキアには一体感がある。その理由はいくつもあるが、例えば、初心者でも楽しめるクラップだ。フェスやショッピングモールなどのイベントで、この曲を知らず立ち寄った人でも音楽に参加出来る、という構図がある。ファンも楽器の一部として音楽と一体化することが可能であるために、会場内の一体感が生まれる。

 

 他には、コーレス(コール&レスポンス)がある。いくつかのライブでは「モンダイナイ モンダイナイ」の部分の後半をファンが返すように要求される。俯瞰的に見ればよくありそうなコーレスであるが、改めて立ち返って見てみると、この"モンダイナイ"の部分は壁に当たってしまい立ち止まった夜中に自分に言い聞かせている歌詞である。音源での歌詞割ではここは綾瀬のソロパートでもある。

 その部分をレスポンスとして返す、ということこそが、その次の歌詞"君がいるから さぁ さぁ ここからだ"へと繋がるのだ。そう、モンダイナイのである。つまり、ライブでのコーレスは音源版とは異なるルート分岐を生む文脈を示している。


 間奏後のBメロである綾瀬のソロパートはサビであるかのような熱量があり、その後に待ち受けるサビのボルテージが高くなると言った話はこれまでに何度もしてきたが、それをライブで見ると私はこう感じた。


 楽しい時間はあっという間だ、と。


 楽しい時間を振り返るとあっという間だったなぁと思ったことのある人は多いだろう。しかしその渦中では、短い時間に色々な経験をして濃密な時間を過ごしていて、この時間が永遠に続くのではという瞬間を感じる人も中にはいるだろう。

 

 その感覚こそタキサイキアなのである。例えば学生時代を思い出してみて欲しい。その当時が楽しかったか辛かったかは人それぞれではあるが、社会に出ることについては遠い未来に感じていた人も多いと思う。しかし現在になって思い返してみると、確かにあっという間であった気もする。もしかして私も学生時代を楽しく過ごしていたような気がしないでもない。

 そんな、自分にもあったのかどうかもよくわからない"青春"なるものを約4分に凝縮したものがタキサイキアなのではないだろうか。

 

 今に存在して今を生きている、今しか出来ないことをしている彼女らを観ていると、自分も青春しているような気になれる追体験が出来る。そんな不思議な感覚にさえ近づけてくれるパフォーマンスがそこにはあったのだと感じた。

 

6.タキサイキアの終わりに

 

 ここまで、様々な角度からタキサイキアという曲が如何にして私を魅了したのか、について語ってきたが、これだという要因は1つではなく、その全てが密接に噛み合って青春の追体験をさせてくれるところにある。彼女らが今歌うからこそ意味のある文脈を生み出すタキサイキアを是非一度聴いてみて欲しい。
 長ったらしく文章を書き連ねてしまったが、ここまでの全てを要約するとこうなる。

 

 やっぱりタキサイキアなんだよなぁ…